32歳 #ジャニオタとコスメ
ファッション雑誌でよくあるバッグの中身とかポーチの中身を紹介する企画がすごく好きで、いつか自分も出してみようかなと思っていたら、こんなお題を見つけたので乗っかってみる。およそ1年ぶりの更新がこれって誰も求めてない気がするけどブログは自己満だからいいの☆
ところで、今年の初めくらいだっけ?にキャンメイクは恥だだとかデパコスは所詮プラセボ効果だとかブスは何してもブスで美人は何しても美人だとか論争してましたが、とうに三十路を迎えた身ながらプチプラ大好きマンだから出てくるのはほぼプチプラです。デパコス皆無です。いい歳してプチプラ恥派はここでUターンplz!
本人スペック
- たぶんイエベ春*1で肌色の濃さは普通
- 髪色は天然の黒
- だいぶ混合肌。おでこや鼻はすぐテカるのに頬はがっさがさ。ひどいと下地を塗るだけで皮が剥けてくる。そして超敏感肌。すぐピリピリしちゃう
- 右目は幅細の二重、左目は奥二重
ポーチ
レスポのアウトレットで一目惚れしてしまったポーチはピンクにゴールドがものすごくかわいい。お値段もかわいかった。花柄のポーチはいつしかの雑誌の付録で、ポール&ジョー シスターのもの。ふにゃふにゃで自立しないけれど自立しないためにポンポンなんでも放り込めて便利。大きいし。
中身はいろいろ詰め込んでいるけれど、ひとまずコスメのみ。
▼平日ラインナップ
▼休日ラインナップ
下地・ファンデ
平日はコフレドール信者。
写真にある下地のオーラキープベースUVは、肌の調子によって毛穴が目立つときがあるので、試供品で使ってみて良かったブライトカバーベースUVも買い足して、2種類を気分で使い分けてる。ファンデの色はベージュC。
コフレドール パウダーファンデーション シルキィフィットパクトUVモイストキープ オークルC SPF21/PA++ 9.5g
- 出版社/メーカー: カネボウ化粧品
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休日はエテュセのBBクリーム+プチプラの王様キャンメイクのマシュマロフィニッシュパウダー。
エテュセ 薬用ミネラルBBジェル ライトベージュ 40g [医薬部外品]
- 出版社/メーカー: Ettusais(エテュセ)
- 発売日: 2014/02/20
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キャンメイク マシュマロフィニッシュパウダーMO マットオークル 10g
- 出版社/メーカー: 井田ラボラトリーズ
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この組合せ、びっくりするくらい頬の毛穴や赤みが消える。つけたてはすごくマットなんだけど、それなりに顔の脂が出るのでちょっと時間が経つととてもツヤ肌。美容師さんや親戚やいろんなひとに肌きれいだねって言われるから、これを塗った顔しか知らないひとにはすっぴん見せられないくらい。キャンメイクをバカにするひとはまず使ってみてほしい。きっとバカにできなくなる。
ただ、付属のパフがイケてないのでこれは別メーカーのものを買って入れている。
鼻はすぐテカってくるので、エテュセもコフレドールも使わずにオルビスのスムースマットベースを仕込み。以前はさらに、というかオルビスの前にインテグレートのミネラルポアクリアを仕込んでその上にオルビス、というのが最強の布陣だったのだけど、ミネラルポアクリアがいつのまにか廃盤になってしまった悲しみ。再販ないかな~。
ニキビ跡やできかけニキビには、ケアしながら隠せるdプログラムの薬用スポッツソリューション AC(ケアカバー)を叩きこみ。
ほうれい線が気になるので、そろそろハイライターを導入したいところ。
眉・アイシャドウ
眉はいろいろジプシーした結果、パウダー部分が使いやすくてペンシルもやわらかくて描きやすいメイベリンに落ち着いてる。
ただ、パウダーより圧倒的にペンシルの減りが早い。やわらかい弊害。
アイシャドウは平日はオーブクチュールの赤みブラウン、休日はヴィセのピンク系ブラウンがスタメン。写真に写っているのもそれ。
オーブクチュールでもヴィセでも手順は↓こんな感じ。塗る幅とかは基本的にはオーブクチュールが見たまま塗ってと言っているとおりにしています。
- アイシャドウベースを塗る。ネットでの評価上の優秀度は低いかもしれないけど、個人的には伸びがよくてしっとりして明るくなるエクセルを愛用中
- いちばん薄いカラーを指でまぶた全体にのせる。はれぼったく見えないよう、薄めに、ほんのりと
- メインカラーを指で2の内側にのせる
- 2番目に濃いカラーを二重幅より少し広めと目尻に広めにのせる。3との境目をぼかすように
- キワにのせるいちばん濃いカラーを二重幅にのせる。4との境目をぼかすように
- 下まぶたの目頭から3分の2にキャンメイクのパールのアイライナーを引いて涙袋を偽造する
いちばん薄いカラーとメインカラーは指でのせること、どの色ものせるときは目のキワから眉の方へ向かって、目の幅にジグザグを描きながらのせること、で簡単にきれいなグラデーションができます。
ところでアイシャドウはお家にもいろいろ取り揃えているけれど、似たような色ばかり買ってしまうのはなんでだろうね?ジルとかポール&ジョーは眺めているだけでかわいい。かわいすぎてもったいなくてあんまり使えない
ジルスチュアート リボンクチュール アイズ #02 4.7g [並行輸入品]
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マスカラ・アイライナー
使っていません。
上も下もわりとまつげが長くて太くて濃いので、マスカラを使うとどんなにカールキープを謳っているマスカラでも下がってきてしまうのと、ただでさえ濃いまつげにマスカラを使うとまつげだけ(ここ重要)ケバくなりそうなのと、アイライナーはまつげが結構密集しているからアイシャドウの濃いブラウンを引けばアイライナーはなくてもそれなりっぽくなるのと、未だにキワというか粘膜に引くのが怖いのと。
なのでビューラーだけ。でも逆さまつげ故そのビューラーはがんばる。
- ビューラーで上まつげをカールさせる
- ホットビューラーで押さえる
- 目頭、目尻、下まつげはミニビューラーで
- 日中、下がってきたときは無印の携帯用ビューラーで上げる
【美容家電】パナソニック アミューレ まつげカーラー EH2380P-V(紫)×20点セット (4547441449150)
- 出版社/メーカー: パナソニック(PCMC電工)V
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要は最初。根元からぎゅーっと上げて、ちょっとずらしてまた上げて、またちょっとずらして上げて、最後にもう一度根元からぎゅーーーっとの4段階。で、やっとカールになる。たまにここの2段階目とかで失敗すると1日アレなまつげで過ごすことになる悲しみ。
ポーチには無印の携帯用ビューラーだけ、どんなに朝頑張っても夕方になったり湿度の高い日には下がってきてしまうので、そのときのためにポーチに入れてます。
チーク
スタメンは写真にあるキャンメイク。
見た目の色のわりに発色がきつくないし小さめで嵩張らないので良し。
お家にはこのあたりも。パフでポンポンっとするだけなのでつきすぎなくて楽なエテュセも結構使ってる。ポールアンドジョーは当初はパケ買いだったけど、色もいいので買い換えつつ使い続けてる。
リップ
唇がめちゃめちゃ荒れやすい体質なので、基本的にはリップクリームのみで、この3つを唇の状態に合わせて使い分け。
リップとかグロスとかいろいろ揃えて色で遊んでいる人とか見るといいな~って思うし、そもそも唇に色つけないなんてってなるけど、こればっかりはしかたがない。
でもたまに色つけたくなるので、そういうときはポール&ジョーかマジョマジョのリップグロス*2。
社会人として本当はてかてかしないようリップスティックにすべきなんだろうけど、どれだけジプシーしても合うものが見つからなかったのでこればっかりはしかたがない(二度目)
マジョリカ マジョルカ ルージュマジェキス PK338 二世 4.5g
- 出版社/メーカー: 資生堂ジャパン (SHISEIDO JAPAN)
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めっちゃ長くなったー!でも楽しかったー!
改めてプチプラばっかりだな!ていうかブランド統一されてなさすぎ!と思ったけれど、肌に合うものを探していったらこうなりました!
ちなみに、ポーチにはほかにもヘアブラシとか毛抜きとか眉用はさみ*3とか鏡とか綿棒とか絆創膏とかネイルオイルとか目薬3種類(養潤水、眼精疲労用、アレルギー用)とか大量の薬(タイレノール、ロキソニン、アレグラ、カロナール、トランサミン、ハイチオールB、メコバラミン、セレコックス、ロペミン、ミヤBM、etc)とかマウススプレーが入っています。重たい~。
あなたを空に 想い描いた
今日は、祖父の月命日。
わたしの家には写真もお骨もろうそくもお線香もないから、心の中で手を合わせました。
1ヶ月経って悲しみが和らいできたかというと、そんなことはまったくなくて、ふとした瞬間に強い悲しみに襲われたり、ああすればよかった、こうすればよかったと、あとからあとから悔いることばかりで落ち込むことも多くて。
9月に1回目の入院をしていたとき、なかなか良くならない病状に、転院も念頭に置きつつ、母と2人で担当医に話を聞きに行ったあのとき、やっぱり総合病院とは言えあの小さな病院じゃなくてもっと大きくて、肺炎の入院治療実績も多い病院に転院させるべきだったのかという後悔は、この1ヶ月、もっと言えば9月からずっとある。
10月に退院後に一度通院したときになんで気づいてくれなかったのかとか、そもそもまだ咳が残っている状態だったというのにどうして退院させたのかとか、担当医を責めたい気持ちも。
どれほど積み重ねても足りない後悔も、やり場のない怒りも、たくさんたくさんあって。
ずっとそんな悲しみや後悔やらで、登っても登っても砂に足をとられるみたいに上がれなくて足踏みしていたけれど、でも、1ヶ月経って、少しだけ、ほんとうに少しだけだけど、きっと本人はそれで医師を責めることを望まないだろうし、短い間でも住み慣れたお家に帰って、入院したままなら絶対食べられなかった高級なお寿司、しかも大好きなまぐろをたくさん食べられて、ちょっとだけ外に出られて髪さっぱりさせて外の空気も吸えて、最後は息苦しいとか苦しむこともなくて、それならよかったと思うしかないのかな、という気持ちになりつつある。
10月の退院直前は「俺は絶対に家に帰る!」「家に帰りたい!」ってそればっかりだったみたいだから… お家に帰ることができて大好物も食べられて良かったんだよね。って少しずつ、自分と、自分と一緒に後悔している母親に言い聞かせ始めているところ。
あと2週間で冬休み。
29日は四十九日の法要です。
たまたま、ほんとうにたまたま、わたしがコンサートのために札幌に来ていたときに旅立っていって最期に会うことができて、四十九日目は絶対に年末年始のお休みで札幌に帰ってきている12月31日で、自意識過剰かもしれないけれど、まるで遠くに住んでいるわたしがちゃんと会えるように、って祖父が考えてくれたみたいで。
ありがとう、じいちゃん、あと2週間で会いにいくよ。
涙がこぼれないように 君を思い出すけど
はてなブログのオススメ記事を辿らせていただいて見つけたお話。
マンガの最後の、おじいさまが亡くなった後もずっといつものようにニコニコしていたおばあさまが泣きわめくところで堪えきれなく…
祖母も、ずっとニコニコではないけれど亡くなったときも家に帰ってきたときもお通夜も告別式も気丈に振る舞っていたのに、棺の蓋をするときと火葬に入るその瞬間の2回だけ泣き崩れていて。どんなに長年連れ添っても15年前に進行性のガンという大病を患っても9月から入院気味でも、そして当たり前に “いつかいなくなってしまう” って知っていても、それでも “いつかいなくなってしまう” ことへの “覚悟” なんて、きっと祖母も、誰も、できていなかった。
だって、ほんの1年前にみんなで旅行していたんだもの。この間、パソコンの中の写真を見ていたら、去年、祖父母とわたしの両親とわたしとで登別に行ったときの写真が出てきて、このときはぜんぜん元気だったのになあ、これが最後だったんだなあと思って。今年の春にだって、叔父と2人で開通したばかりの北海道新幹線に乗って東北旅行していたのに。
まったく心の準備なんかできてなかったし、こんなに早く逝ってしまうなんて思ってもいなかった。
そして、祖父が生きていたころはそこまで気にすることはなかったのだけど、いなくなってしまったら、チョコレートとかリンゴとか焼き芋とか和菓子とかようかんとかトマトジュースとかコーヒーとかラーメンとかお寿司とかまぐろとか〆サバとか、街で見かけるいろんな食べ物に「これじいちゃん好きだったなあ」とか「おみやげに買って行ったら喜んだだろうなあ」と考えてしまって辛くなる。
祖父は大好きな食べ物がたくさんあったけれど、さらによく言っていたのがべこ餅で。
祖父が幼いころ、母親に作ってもらっていたというべこ餅。端午の節句のお菓子らしいけれど、北海道では年中売っているのでときどき何個か買って行くと、「こんなに食べられないよ~じいちゃん胃ほとんどないんだからね?」と言いつつ、数時間おきにパクパク食べていて、また次の日遊びに行くとぜんぶ食べてなくなっちゃってる、みたいな、そのくらい大好きで。
ブログの方がいちじくの季節になるとおじいさまを思い出すと書いてらっしゃるように、祖父が5月になるといつも母親が作ってくれたべこ餅の味を思い出すと言っていたように、きっとわたしも、5月になってお店でいつも以上にたくさん積まれているべこ餅を見るたびに、新聞を読みながらべこ餅を頬張っていた祖父の姿を思い出すんだろうな。
* … * … * … * … * … * … * … * … * … * … * …
今年の年賀状をいまさら整理して、祖父から届いた年賀状を見た。
「健康第一に暮して下さい」の言葉にまた涙が出てくる。
楽しかった時間だけ 想い出の中映し出される
11月26日、27日はゆずの東京ドームでのライブに参加してきました。
デビュー20周年イヤーの始まりをお祝いするライブ。
直前ギリギリまで参加するか否か、悩んでいました。
祖父に後ろめたいとか、どうにもこうにも気分が乗らないとか、もはや行くモチベーションが手数料も入れて18000円(9000円×2日間)もったいないしってことと、譲るにしたって譲り先が見つからなくて同行者が1人参加になるから悪いなってことだけになってしまったとか、だから行っても楽しめないかなとか、そんな自分で自分に戸惑うくらいの心境になってしまって。あんなに大好きなライブ、しかも18年半大好きでい続けているゆずのライブ、しかもしかも記念年のライブなのに。
結局、いろいろなことを考えあぐねた結果、参加することにしたんですけど。
やっぱり全力で楽しかった!とは言えないままで、でも、何もなく参加していたらきっと一点の曇りなく「楽しかった!」と言えるようなライブのはずで、ほんとうにほんとうに良いライブでした。18年半、ずっと好きでいられて良かったなと思うし、すっかりおじさんになった2人を、2人の曲を、2人の唄声を変わらず好きだと言える今があって良かったなとも、20周年もその先もずーっとずっとついて行こうとも、心の底から思えるライブでした。
来年20周年のドームツアーは全力で楽しめるといいな!
ところでアンコールで唄ってくれたサヨナラバス。
失恋の曲だけど、失恋だけでなくていろんな別れにこんなに響く曲だったんだって17年経って初めて知ったし、今の状況とだだ被りすぎてこの曲でこんなに泣くの初めてってくらい泣いた。先々週あんなに泣いたのにまだまだ泪は出てくるんだな、と…
祖父はわたしが産まれるくらいまでお酒大好きで、そのためにいろいろなことをやらかしていて祖母にもたくさん迷惑をかけてきたみたいで。祖父が生きていた頃、みんなが集まるとよく冗談で「亡くなったら、晩年は仏のようなひとだったけれど若いころはとにかく酷くて~って笑い話するんだろうねえ」って言って、それを聞いて祖父が「やめて恥ずかしい///」とか言って笑い合ってたんだけど。
いざそういうときになってみると、お酒で酷かったことの思い出話なんてぜんぜん出てこなくて、やっぱり楽しかったこととか優しかったこととかそういうのばかり思い出すんですね。
と、2人と、ドームを埋め尽くしたみんなが唄う声を、そして今日のタイトルにした詞を聴きながら思いました。
きっとまた会えるよね 約束したものね
11月13日夜、母方の祖父が亡くなりました。
86歳、来年は米寿のお祝いだね、その2年後はじいちゃんの卒寿とばあちゃんの米寿でWお祝いだね、盛大にやらなくちゃねと言っていた矢先のことでした。
原因は間質性肺炎。9月から10月にかけて一度細菌性の肺炎で入院していて、それによる間質性肺炎の急性増悪と思われる、とのこと。これまで間質性肺炎と診断されたこともなく、9月の入院でなかなか熱が下がらず咳もおさまらないために疑いがあっただけで、血清マーカーの値も低かったため結局細菌性肺炎だと診断を受けていたのに。
でも、その細菌性肺炎が治ったと言われて退院してわずか3週間ほどで再入院、それから1週間も経たないうちに亡くなってしまいました。
12日、13日とコンサートに参加するために、祖父の血縁の中で唯一北海道を離れているわたしもたまたま札幌に来ていました。
13日朝、祖父の入院する病院にお見舞いに行って、じいちゃんがんばるよ、の言葉を聞いて本人に治したいという気持ちがあるならきっと大丈夫と思い、わたしは病院を後にしました。
亡くなる7時間半前、それが、祖父との最後でした。
容態が急変したとの知らせを受けたのはコンサート会場に向かうために病院を出てほんの1時間後のこと。一緒に参加する予定だった、チケットを持っていた友達に連絡しつつあわてて病院に戻ったら、もう意識はほとんどなくて呼吸もびっくりするくらい荒くて。
じいちゃん、じいちゃんと何度も呼びかけたけれど、荒かった呼吸がだんだん落ち着いて弱くなって、脈拍も血圧も少しずつ下がっていって、午後7時前、そのときは息苦しさとかで苦しむ様子もなく、本当に穏やかに眠るように天国へと旅立っていきました。
友引の関係で、お通夜は14日、告別式は15日に。
この2日間はとにかく怒濤で1日が長くて、覚えていないことも多いけれど、ただ、何度も触れた頬と手の驚くほどの冷たさと、棺の窓を閉める最後の瞬間と、火葬のとき扉が閉まるほんの最後の0.5秒くらいの景色は脳裏にしっかりと焼き付いていて。
お通夜でも告別式でも火葬場でもそのあとの繰り上げ法要でも、人間こんなに泣けるんだってくらい、体中の水分がぜんぶ目から出てきてるんじゃないかってくらいとにかく泣いて泣いて泣きすぎた2日間でした。
いつか、この2日間のこともちゃんと書き残せたらいいな。
* … * … * … * … * … * … * … * … * … * … * …
最後の最後にじいちゃんに伝えた「じいちゃん、またね」の言葉、届いたかな。
またじいちゃんの孫に生まれてきたいから、「さよなら」は言わなかったよ。
じいちゃんのスライドショーに使う写真を選んでいるとき、赤ちゃんだったわたしや従妹を抱っこして笑顔や照れているじいちゃんの写真が何枚もあってね、それ見てばあちゃんが「ほんとうに孫のことはかわいいかわいいってねえ、自分の子どもは一度も抱っこしたことない人なのに」って言ってたの。
そんなにたくさんかわいがってくれてありがとう。
帰省するたびにたくさんおみやげ持たせてくれてありがとう。
初任給でプレゼントしたばあちゃんとお揃いの時計、ベルトがぼろぼろになるまで使いこんでくれて、入院のときだって大事に持っていってくれてありがとう。
落ち着きのない小さいわたしを水族館に連れていってくれてありがとう。
道内のいろんな場所に旅行に連れていってくれてありがとう。
大学受験のときに朝早く雪の降る中大学まで車で送ってくれてありがとう。
大きなことから小さなことまで「ありがとう」がたくさんあるよ。
あちこち旅行行って碁を打って最近ご無沙汰なカラオケして向こうの生活を楽しんでね。
大好きなお寿司もリンゴもトマトもべこ餅もようかんもラーメンも焼きいももたくさん食べてね。
ずっと一緒だったのに急に一人暮らしになっちゃったばあちゃんのこと、ちゃんと見守ってね。
じいちゃん、またね、またいつか会おうね。
◇
サボってあんまりやっていなかったtwitterをちゃんと更新するようになったら、すっかりブログ書かなくなっちゃって。最後の更新が2年半前って。
今は、twitterで結構あれこれ騒いだり、ほぼ日手帳に、weeksなのでそんなにたくさんは書けないながら仕事とか趣味とかあれこれを記録しているので、どれだけブログを残す意味があるのかなーと思いつつ、字数制限もなく、ブログを教えている知り合いはごくわずかで、その気になったらいつでも無かったことにできるここでなら言えることもあるかなと思って、はてなブログの方で再開してみます。
……といいつつまたしばらく更新しないかもだけど。笑
とりあえず近況。
前のブログを教えてるリアルな知り合いさんには言ったことがほとんどかも。
- 2年半前はブログで惚気ていた彼氏とは、去年の9月に別れました。それから1年以上経って次はもちろん、わたしにしては珍しく気になる人もできません。
- 去年、30歳の誕生日に職場のいつも遊んでいる先輩同期後輩一同からいただいた、だいぶエロい高級下着はそんなわけで出番がありません。
- 気がついたら社会人6年目にもなり、入社当時の先輩たちはみんな異動してしまい、わたしがチームでいちばん古株になったり、いろんな人にいろんな業務を教えたり、ときどき後輩を叱ったり、そんな社会人になっていました。研究室のスタッフが知ったら白目むきそうです。当時の教授が「ヒエーーー」と言うのが聞こえます。
- ストレスとか残業時間の長さからか、坐骨神経痛を悪化させたり過敏性腸症候群を発症してしまったり。
- 最近の口癖は「仕事辞めたい」「ニートになりたい」「でも一度ニートしたらもう仕事見つからないかもしれないから辞められない」「仕事辞めたい」… 以下エンドレスループ…
- ジャニヲタであることを隠すことをやめました。高1のときのある出来事をきっかけに14年ヲタ仲間とわずかな友達以外には隠し続けたけれど、なんかもういいかなーって。あくまでtwitterで隠すのをやめただけだけど、それでもなんか隠さなくて良くなったっていうのはだいぶ楽。笑
なんだかんだ、いろいろありますね。こうやって見てみると暗いことたくさんな気もするけど、いいこともたくさんたくさんありますよ。そんなこんなで、おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。
それにしても、ここのプロフィールを書いていて、年齢も書いておくか…と打ち込んだその数字にいまさらかつ我ながらびっくりした… 31… 31って…